懐園流という言葉を初めて聞いたという方が多いと思います。
いけばな」の一流派として令和4年に創流されたばかりですので、当然の事と思います。
日本には、室町時代に完成された最古の流派の「池坊」をはじめ、数多くの流派が存在します。各流派、それぞれ独自の素晴らしい「」があり日本が世界に誇れる伝統文化であります。
懐園流の祖は江戸時代に神田神社(明神)境内において、今井一志軒宗晋により興された「古流」という流派の流れを汲んでいます。「古流」という流派は、それまで武士の教養としておもに男子が習う事が多かった「いけばな」を町民である庶民に広めた流派でもあります。近代になり「いけばな」は「花嫁修業」の一環として、女性の習い事として認知されてきました。

女性ならではの「優しさ」を取り入れる為に、それまでは生花(せいか)(伝統花・伝花)と呼ばれる格式があり生けるのに時間を要する物に加え「盛花」といった、「剣山」を使い手軽に生ける事が出来る「いけばな」が盛んになりました。

この「盛花」は「生花」を崩したものであり、また昨今の輸入技術の発展により外国のお花が入ってくるようになり、その華々しい色合いを取り入れるのにも、ちょうどいい生け方として「いけばな」と「アレンジメント」の中間的な存在として人気を博しています。

それまでは「いけばな」を習うという事は敷居が高いと感じられる方も多かったのですが、「盛花」の存在により、「いけばな」の道に入門し易くなり今日の「いけばな」の隆盛につながった事は喜ばしい限りです。ですが、その入門的な存在の「盛花」は、基本的に懐園流にはありません。時代に逆行するようですが、懐園流いけばなは昔ながらの「生花」のみです。

なぜ「生花」だけなのか、流儀の思想・理念等は後述しますが、この点が他の流派と一番の違いとなります。又、一つの作品の中に「富士」の姿を、必ず入れる生け方も特徴です。
先人達が遺してくれた、大いなる遺産を踏襲しつつも、新しい技法を加え新しい「いけばな」として発足致しました。                   懐園流宗家 石井懐園